龍ケ崎の歴史>龍ケ崎市の歴史(昭和29~49年)
龍ケ崎市の歴史(昭和29~49年)
龍ケ昭和29年
- 龍ケ崎町外6か村(大宮・長戸・八原・馴柴・川原代・北文間)が合併して龍ケ崎市誕生)
- 電電公社龍ケ崎電報電話局新築移転(上町)
昭和30年
- 北相馬郡高須村の一部分が分村合併
- 市庁舎建設
- 母子寮「青葉荘」建設
- 市報「広報龍ケ崎」第1号発刊
- 納税組合の結成
- 国勢調査人口34、337人
昭和31年
- 市庁舎竣工
- 工場誘致条例を制定
昭和32年
- 有線放送電話架設
- 敬老年金給付条例制定
- 88歳以上の市内老人に敬老年金の支給開始
- 5カ年計画による新農村建設事業に着手
- 名誉市民条例制定
- 自治功労者表彰条例制定
昭和33年
- 龍ケ崎カントリー倶楽部開場
昭和34年
- 国民年金事務開始
- 国民健康保険制度の実施
昭和35年
- 公文書の左書き実施
- 財団法人龍ケ崎市開発公社設立
- 国勢調査人口33、581人
昭和36年
- 龍ケ崎・大宮・馴柴・長戸・八原の5中学を愛宕・城南の2校に統合、両校舎の建設を開始
- 青年研修所建設
- 龍ケ崎市外6カ町村で隔離病舎建設
昭和37年
- 龍ケ崎市消防署設置
- 交通安全都市を宣言
- 龍ケ崎市外5カ町村による県南水道組合を設立
- 上水道の建設計画に着手
- 龍ケ崎市外6カ町村でし尿処理場の建設計画に着手
- 農業構造改善事業計画地域の指定を受け、土地基盤整備事業および経営近代化施設の建設に着手
昭和38年
- 城南・愛宕中第1・第2期工事完了
- 統合中学校第3期工事に着手
- 塵芥処理場の建設開始
昭和39年
- 塵芥処理場完成
- 東京オリンピック柔道で郷土出身岡野功選手が中量級で優勝
昭和40年
- し尿処理場完成
- 流通経済大学開校
- 愛国学園女子短期大学付属龍ケ崎高など学校開校
- 国勢調査人口34、917人
昭和41年
- 龍ケ崎市交通安全母の会結成
- 家庭教育学級の開設
- 龍ケ崎市衛生組合連合会設立
- 首都圏近郊整備地帯に指定
- 第48回全国高校野球選手権大会に県立龍ケ崎一高が東関東代表として甲子園出場(通算6回目)
昭和42年
- 老人大学が開校
- 市営グラウンド用地買収に着手
- 給食センターの建設
- 八原保育所建設
昭和43年
- 市内北部台地開発に伴う基礎調査を実施
- 中央公園の完成
昭和44年
- 消防庁舎の完成
- 都営計画街路(大宮-姫宮線)一部開通
- 大宮保育所完成
- 市営グラウンドの建設
- 青少年センターの設置
- 地籍調査の実施
昭和45年
- 竜ケ崎警察署新築移転
- 川原代小学校校舎の完成
- 北竜台団地(330ヘクタール)建設決定
- 新塵芥焼却場の工事開始
- 公害総合調査の実施
- 市街化区域・市街化調整区域の最終案の決定
- 北文間保育所の完成
- 国勢調査人口37、267人
昭和46年
- 老人「いこいの家」建設
昭和47年
- 横町児童公園建設
- 茨城県南流通センター建設
昭和48年
- 茨城県南流通センター建設
- 龍ケ岡団地(346ヘクタール)建設決定
- 龍ケ崎地域商業近代化策定委員会設置
- 龍ケ崎市生活安定緊急対策本部設置
- 稲敷地方広域市町村事務組合設立
昭和49年
- 都市計画街路(大徳-姫宮線)全面開通
- 一般ごみ収集料金の廃止
- 名誉市民河田重氏逝去
- 新庁舎完成
- 龍ケ崎市市制施行20周年市庁舎竣工記念式典挙行
- 茨城国体(29回国民体育大会)・龍ケ崎一高軟式野球部優勝老人大学が開校