龍ケ崎と藍
「かりそめの 座にも畳の へりくだれ
驕りをなすな 善事をなせ」
NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一の生家が藍染業を営んでいたことで,再び藍染めが注目されています。
江戸時代,仙台藩の陣屋を中心に町場が発展していた龍ケ崎村(旧龍ケ崎町)にも,俗に「紺屋(こんや)」と呼ばれる染色業者が数多く存在しました。
龍ケ崎の歴史の中で,藍の製法で大成した人物がいます。新町の「製藍亭(せいらんてい)ての字屋」松田 楽平(まつだ らくへい)です。上町大庄屋(おおしょうや)の分家の3代目であった楽平は、製藍の研究を重ねて、京都「上方流」の技法を習得。文化3年(1806年)に仙台藩の本領(宮城県)に招かれ、製藍の技術普及と後継者養成に尽力します。
文化6年には、名字帯刀を許される「品替百姓(しながわりびゃくしょう)」に。さらには裃着用を許される「組抜並(くみぬけなみ)」に取り立てられます。藩内の染色法を一新した功績が認められたのです。
仙台藩に多額の御用金を納め、新町だけで30石余の保有地を持っていた楽平ですから、龍ケ崎でも藍づくりの発展に大きく貢献したことでしょう。
さて、冒頭の句は、楽平が子孫に宛てた教訓です。この直筆の教訓と肖像画が描かれた掛軸は、子孫の永子さんから寄贈いただいたもので、当館の常設展示室でご覧いただけます。楽平の温厚で謙虚な人柄がうかがえる貴重な資料です。
ご来館の際はぜひご覧ください!