龍ケ崎は「松」のまち? ~まぼろしの松並木~

 龍ケ崎の「市の木」は、「松」ですよね。かつての龍ケ崎には、その選定の決め手となった松並木があったことをご存じでしょうか。

 左は、昭和30年代後半に市が発行した、鳥瞰図の一部です。まちの南側に、大きな松並木が描かれています。

昭和30年代発行の龍ケ崎市鳥瞰図(岡澤英夫氏 所蔵)
昭和30年代発行の龍ケ崎市鳥瞰図(岡澤英夫氏 所蔵)

 

 伝承によると、戦国時代に龍ケ崎を治めた土岐氏は、龍ケ崎城(現在の龍ケ崎二高付近)の城下町を整備する際、水害を防ぐために現在の馴馬町から大徳町にかかる堤防を築いたとされています。

馴馬土手(画像右側:土岐氏の築いた堤防の名残)
馴馬土手(画像右側:土岐氏の築いた堤防の名残)

 

 そして、仙台藩の領地となった江戸時代。寛永12年(1635年)の文書では、木材の需要から堤の所有者に「米町の水門から大徳までの堤に松や杉を手抜かりなく植えるように」との指示が出ています。これを受けて土岐氏の築いた堤に植えられた松が立派な並木に成長し、まちの名所として親しまれるようになりました。松並木は、龍ケ崎の観光案内パンフレットや絵葉書などに描かれたほか、市内の校歌や民謡にも歌われています。

 

 松並木の姿が見られなくなったのは、昭和50年代に入った頃のこと。市内の多くの松が、松くい虫等の被害により枯死してしまったのです。その間わずか10年ほどでした。

 「市の木」が制定されたのは、松が減少していた頃の昭和49年(1974年)。市民公募による選定です。

 

 まちの歴史を伝える風景が失われてしまったことは残念ですが、松に魅了された人々によって撮影された多くの写真が、その姿を今に伝えています。

下町から上町裏の松並木・昭和46年撮影(海老原龍夫氏 撮影)
下町から上町裏の松並木・昭和46年撮影(海老原龍夫氏 撮影)

 

 龍ケ崎の松を忘れない――。

 「市の木」には、人々のそんな想いが込められているのではないでしょうか。