伝説の男-馴馬の甚七- (なれうまのじんしち)

 今号の『りゅうほー』の表紙は、市民の方からの投稿写真をもとに、イラストレーターの芳川豊さんが描いた「女化神社の参道」 です。女化神社は龍ケ崎市(馴馬町)の飛び地にあり、参道にはたくさんの鳥居が立ち並んでいます。今回は表紙のイラストにちなんで、女化神社参道の鳥居にまつわる伝承をご紹介します。 

「馴馬甚七女化稲荷社石鳥居曳き図」寛政5年(1793年)/当館寄託
「馴馬甚七女化稲荷社石鳥居曳き図」寛政5年(1793年)/当館寄託

  

    

               

  

    

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

  

 この大絵馬は、寛政5年(1793年)に馴馬町の日枝神社へ奉納されたもので、女化神社に石鳥居を立てるために、馴馬の男たちが小田(現在のつくば市)から鳥居の石材を運んでいる様子を描いたものだと伝わっています。

 

 道の状態が悪く、突然荷車が動かなくなってしまった時に、「馴馬の甚七」と呼ばれる男が扇子をあおぎながら木やりを歌って皆を鼓舞したところ、するすると荷車が動き出した、という場面です。

 

「寛政五癸丑年」と刻まれている石鳥居(馴馬町・女化神社)
「寛政五癸丑年」と刻まれている石鳥居(馴馬町・女化神社)

 馴馬周辺には「馴馬の甚七」についての伝承が広く語り継がれています。市史の編さん当時に、明治・大正生まれの市民の方々を対象として行った聞き取り調査などでは、甚七について次のような話を聞き取ることができました。

(※絶対にまねしないでください!)

 

⃝下駄を食べた

⃝瀬戸物をかみ砕いた

⃝天ぷらを鍋から素手で取り上げた

⃝ゆで上がったうどんを素手ですくった

⃝腹の上で火を焚いた

⃝江川を飛び越えて渡った

 

 

 

 甚七が実在した人物なのかは分かっていませんが、鳥居の建立年が冒頭の絵馬に記載さ れている奉納年と同じ寛政5年ということは、興味深い点です。女化神社の鳥居の中に1基、「寛政五癸丑年」と刻まれた鳥居があります。 当館では1月22日(土)~3月 21日(月)に、この絵馬の実物(縦155㎝×  横193 ・ 5㎝)を展示します。「馴馬の甚七」は、どのような男だったのか。ぜひ想像を膨らませてご覧ください。

 

                                 【I・T】