龍ケ崎商店街の今昔

 この写真は昭和35年(1960)頃の商店街の様子を撮影したものです。お店など建物の外観は大きく変わりましたが、メイン通りは今と同じように米町から砂町方面へと延びています。

龍ケ崎写真集刊行委員会 提供
龍ケ崎写真集刊行委員会 提供

 商店街の町並みは、戦国時代に土岐氏が龍ケ崎城下を整備したことに始まります。その城下町のあとを仙台藩が陣屋町として発展させ、今の形となりました。当館の常設展示にある江戸時代の絵図では、南側に米町・新町・上町・下町・砂町、北側に根町、そして根町と上町を結ぶように横町と田町が、各々の町名とともに確認できます。

 今回は時代とともに変わりゆく商店街の姿を、大正・昭和期の写真で追ってみました。

龍ケ崎写真集刊行委員会 提供
龍ケ崎写真集刊行委員会 提供

 左の写真は大正7年(1918)頃に撮影されたもので、当時下町にあった龍ケ崎郵便局前での1枚です。軒下には〒マークが見えます。道路に沿って等間隔に建つ電柱は、龍ケ崎町に電灯がともった大正2年以降の景観の特徴です。左端に立つ袴姿の女性の庇髪(ひさしがみ)は、大正期の女学生の間で流行しました。 

龍ケ崎写真集刊行委員会 提供
龍ケ崎写真集刊行委員会 提供

 

上の写真は龍ケ崎市制が始まって間もない昭和30年(1955)頃、関東鉄道竜ヶ崎駅の駅前交差点から商店街(米町)の入口を撮影したものです。ボンネットトラックの上にある「龍ケ崎市商店街」と書かれたネオンアーチが一際目を引きます。その前でたくさんのかごを載せて走るオート三輪車には「鳥久本店」の店名が見えます。

 

入口の両側は食堂で、左側の「橋本屋」の壁に立てかけられているのは映画広告の看板です。市内には当時「大正座」「常陽館」「トキワ館」「龍ケ崎セントラル劇場」の4つの映画館がありました。

 余談ですが、商店街の直線距離(米町から砂町まで)はおよそ1.9kmです。東京で一番長いと言われる大田区の戸越銀座商店街は約1.3kmなので、龍ケ崎商店街は関東でも有数の長さを誇る商店街と言えるかもしれません。

 

 歴史も距離も長い龍ケ崎商店街。今回ご紹介した写真の面影は、今も通りのあちらこちらに残っています。龍ケ崎の昭和レトロ・大正ロマンを探しに、商店街を散策してみてはいかがでしょうか。                                 

                              【T・I】